2021年4月20日火曜日

生徒の倫理観

 学校にいかない中学生が特に今年は増加していると公教育の方から聞いた。学校の勉強ばかりがすべてでない。通信技術の飛躍的な進化で、学校に行かなくても勉強はできる。優れた教材と動画で自学は可能である。学力さえつけば学校に行かなくてもよいものかと問われれば、誰もが「行くべきだ」と答えるだろうが、「やむをえない場合もある」とつけ加える。この一言が不登校を容認することになるのかもしれない。
 学校には同じ年代の生徒、上級生、下級生がいる。対人関係がある。上下同の人間が1つ組織で活動する。これは社会に近い。学校は社会のシュミレーションである。問題になっている「いじめ」だって社会にもある。
 私は決して「いじめ」を容認しているわけではないが、「いじめ」を発見して毅然と立ち上がる生徒が必要である。大笑いされそうな事だが、学校が抱える問題に場当り的な対処療法でうまくいっていないのだから、こんな事も言いたくなる。また、そんな生徒を育てようとする理想は学校に全くないのか。
 忙しい先生方に毅然と立ち上がる生徒の育成まで期待するのは酷な話だが、教育現場で多様化する価値観を容認することで、「いじめ」「不登校」に対処できているとは思えない。大事なことは、とりあえずの価値観の一元化であり、今、しっかりしたシンプルな倫理感をもった生徒を育てようとする教育が必要とされている。