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| 首都大東京 キャンパス |
一種でAO(Admission Office)の準備を始める。
受験生がしてきたことを文章にまとめ提出。
エントリーシートだ。人物評価と提出した論文内容を
説明するために面接や討論を課す。合格すれば、さあ
これからという受験生を尻目に大学生活の準備に一番乗りである。
先日、朝日新聞が定期的に取り上げている大学紹介に首都大のAOの記事があった。
6月から大学のゼミに参加し、自分で研究テーマを見つけ、発表する熱心さや研究
テーマとそのできばえで十数名に絞ってAOの受験資格を与えるといったものである。
受験資格を得たものは高い確率で合格でするそうだ。
ペーパーテストだけでなく何回も大学に足を運ばせれば、生徒も大学側も適性が判断
できる。しかし、彼らは高校生である。高校のカリキュラムはどうなっているのか?
私が首都大の志願者ならば、学校の勉強より大学での研究テーマに全力投球し、
選抜にもれてから受験勉強をはじめるだろう。3ヶ月以上も高校の勉強はおろそか
になる。志向館の生徒なら必ず塾に研究テーマの相談にくる。講師も個別指導で
研究に付き合う。大学入学後に「合わない」といって無気力になったり、やめて
しまう生徒が減ると大学側はいうが、少なくともパンフやインターネットを見れば
どんな研究テーマかくらいは一目瞭然である。研究内容がわからなければOPEN
CAMPUS や高校の先生にたづねてみればいい。きっと親身になって相談に乗って
くれるだろう。大学に行った後で「こんなはずでは…」という生徒は大学で何を学ぶか
調べずに大学にいったというのか?言えない何か別の理由があって、体裁をつくろい
勉強が合わないといっているのか?私にはわかりません。入学後に無気力になる
学生は本人の本質的な大学感に問題があるのではないか。その方はどこに入学
したって結果として無気力になっていたのではないでしょうか。大学が工夫を凝らす
のはけっこうだが、「志」低くさほどの覚悟もなく大学に行く一部の生徒を嫌って
6月から100名近い受験生を秋には10名程度に絞るAO入試が、万が一でも
一般化すれば高校カリキュラムは大規模に破壊される。
